シルクロードのものがたり(99)
子夜呉歌(しやごか) 李白(701-762)
長安 一片の月
万戸 衣(ころも)を打つの声
秋風 吹いて尽きず
総(すべ)て是(こ)れ 玉関の情
何(いず)れの日にか 胡虜(こりょ)を平(たい)らげ
良人は 遠征を罷(や)めん
これは天宝二年(743)、李白42歳、念願の朝廷歌人になった直後につくられた詩である。「子夜・しや」というのは娘さんの名前で、南北朝の初め東晋のころの人だという。陶淵明が生きていた時代の女性である。題を直訳すれば「子夜という娘がつくった南国・呉の歌」となる。李白はそれを長安に持ってきて、西域のことを詠った。珍しいスタイルの詩である。
この詩のスタイルは白居易の「長恨歌」にも似ている。長恨歌は玄宗と楊貴妃のロマンスを描いたものだが、時代があまりにも近くてなまなましい。よって、「漢皇 色を重んじて傾国を思う」と、冒頭から漢代の話として詩をはじめている。ノンフィクションではなく小説ですよ、とのスタイルをとっている。
この「子夜呉歌」は、出征軍人の妻に代わってその歎きをうたったものだ。見方によれば、反戦歌ともとれる。与謝野晶子の「ああ、弟よ、君を泣く、君死にたまふことなかれ」に通じるものを感じる。太平洋戦争中であれば二つとも大問題になったと思うが、唐王朝も日本の明治政府も、「女性の優しい感情表現」としてこれらを許しているところが奥ゆかしい。
土岐善麿は次のように訳している。「都の空の月冴えて きぬたぞ響く家ごとに ただふりしきる秋風の 関路にかよふうき思い いつかはあだをうちはてて 帰るわが夫(せ)を迎えまし」 悪い訳とは思わないが、原文の読みくだし文のほうが人の心を打つ。
この「長安一片の月」は子夜呉歌の其の三で、この次に其の四がある。
明朝 駅使(えきし)発せん
一夜 征袍(せいほう)に絮(じょ)す
素手(そしゅ) 針を抽(ひ)くこと冷ややかに
那(な)んぞ剪刀(せんとう)を取るに堪えんや
裁縫(さいほう)して 遠道に寄す
幾日(いくにち)か 臨洮(りんとう)に到らん
あすの朝、飛脚がたつので、夫に届けてもらう綿入れを、徹夜して縫っている。針をもつ手は冷える。はさみを持つのもなんとつらいことか。これを縫い上げて、遠い道のりを飛脚に託す。夫のいる臨洮に到着するのは、いつのことだろう。
次の李白の詩は、はつらつとして気持ちが良い。
少年行(しょうねんこう) 李白
五陵の年少 金市(きんし)の東
銀鞍白馬(ぎんあんはくば) 春風を度(わた)る
落花踏み尽くして 何処(いずこ)にか遊ぶ
笑って入(い)る 胡姫(こき)の酒肆(しゅし)の中
「いきで遊侠の富裕層の少年たち」を主人公にしたスタイルをとった詩であるが、実際は李白自身がこの「胡姫の酒肆」にひんぱんに通っていたようだ。李白の父は富豪の商人と前に紹介したが、大富豪であったらしい。李白という人は一生を通じてお金に何不自由なく、大酒を飲み旅を続けた、恵まれた人であった。飲みっぷりは良いし、話題も豊富、西域の言葉も話せる、そしてなによりも金払いが良い。「胡姫の酒肆」では大いにもてたに違いない。
この外人バーの金髪で青い目のホステスたちは、本人たちがイランやサマルカンドから出稼ぎに来たのではないようだ。当時、長安には百年前、二百年前に西方から渡来した青い目の胡人たちの大集落があった。ここの娘さんの中の美人が、この外人バーで働いたようである。
この「少年行」という題の詩は、当時長安で流行したらしい。王維にもこの題名の詩がある。王維の「少年行」を紹介する。漢代の任侠少年の心意気をうたったもので、最後の一行は特に有名で、禅宗の高僧が好んで使う言葉になった。一行目の「羽林郎」は「近衛将校」、二行目の「驃騎」とは「驃騎将軍・ひょうきしょうぐん・霍去病・かくきょへい」のことである。
少年行(しょうねんこう) 王維
出身 漢に仕(つか)う 羽林郎(うりんろう)
初めて驃騎(ひょうき)に随(したが)って 漁陽(ぎょよう)に戦う
たれか知らん 辺庭において苦しまざるを
縦(たと)い死すとも 猶(な)お侠骨(きょうこつ)の香(かんば)しきを聞かしめん
李白の項で王維の詩を紹介してしまった。おしまいは李白の詩で締めくくりたい。
漢詩のなかに「詠史・えいし」と呼ばれるものがある。文字通り歴史をテーマとして詠んだ詩で、唐代にかぎらず中国の歴代の詩にこの詠史は数多く残されている。先の王維の「少年行」も「詠史」に分類することができるかもしれない。次の李白の「蘇武・そぶ」は詠史のなかで特に秀作といわれている。匈奴の捕虜となり十九年、バイカル湖のほとりで羊を飼い、雁(かり)の足にくくりつけた手紙でその生存がわかり、めでたく唐に帰還したというあの有名な話である。蘇武の親友・李陵の名も入れて、じつに簡潔に蘇武の苦難を描いている。
蘇武(そぶ) 李白
蘇武 匈奴に在(あ)り
十年 漢節を持(じ)す
白雁(はくがん) 上林に飛び
空(むな)しく伝う 一書札
牧羊 辺地に苦しみ
落日 帰心絶ゆ
渇(かつ)しては 月窟の水を飲み
飢えては 天上の雪を餐(さん)す
東に還(かえ)らんとして 沙塞(ささい)遠く
北に愴(いた)む 河梁(かりょう)の別れ
泣いて 李陵の衣(ころも)を捉(と)り
相看(あいみ)て 涙血を成す
この蘇武十九年の捕虜生活とその帰還、および親友・李陵との別れの物語に、中国人だけでなく、過去多くの日本人が感動したようだ。江戸時代には狩野派の何人もの絵師や渡辺崋山などがこの蘇武の絵を描いている。明治期に入ってからも、橋本雅邦・中村不折をはじめとして多くの画家がこの詩の情景の名画を残している。私は不折の蘇武と李陵の別れを描いた「蘇李訣別」の絵が特に好きだ。

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