2026年3月26日木曜日

唐代女性の詩・三首

 シルクロードのものがたり(101)

唐代の若い宮中女性が書いた、次のような詩がある。


袍中詩(ほうちゅうし)  開元(かいげん)の宮人(きゅうじん)

沙場(さじょう) 征戍(せいじゅ)の客

寒苦 若為(いか)にしてか眠らん

戦袍(せんぽう) 手を経て作る

知らず 阿誰(だれ)の辺(そば)に落つる

意を蓄(たくわ)え 多く線(いと)を添え

情を含み 更に綿(わた)を著(ちゃく)す

今生(こんじょう) 已(すで)に過ぎたるなり

願わくは結ばん 後生(ごしょう)の縁

「袍・ほう」とは「わた入れの上着」である。「戦袍・せんぽう」とは寒い場所で兵士が身に着ける「綿入れの軍服」のことだ。

「開元の宮人」とは開元年間(712-741)に宮中で働いていた女性を意味する。二十歳前後の独身女性と思われるが名前は残っていない。王維や李白と同じ頃に生きた女性だ。開元年間にはしばしば外征があった。宮女が綿入れの服を縫い、出征軍人に賜うのがしきたりとなっていた。日本でも日清・日露・大東亜戦争では、同じようなことが行われている。

自分がけんめいに縫ったこの綿入れを、いったい誰が身につけるのか。宮女にはわからない。いったん宮廷に仕えた女性はふつうの結婚は望めなかった。「今生(こんじょう)すでに過ぎたるなり」は実感であった。彼女たちは、せめて「後生(ごしょう)の縁」を結ぶことを願った。この綿入れを着るのは若い男性のはずだ。ある宮女が、ふとこんな詩をつくって、その中にそっと入れてみたのだ。

戦地の若い軍人が、恩賜の軍服のなかに一首の詩を書いた紙片を見つけた。この軍人はきまじめな人だったようだ。上官に報告した。上官は朝廷にこのことを奏上し、玄宗皇帝は全宮廷にこの詩を示したという。

ラブレターもどきを恩賜の戦衣にしのばせるのは、万死に値する行為とみられていた。一人の宮女が「おそれながら、、、」と自首して出た。玄宗は彼女の心情をあわれみ、その詩を得た若い軍人に彼女を妻として与え、女性に対して「朕はいま、おまえに今生の縁を結んでやった」と言ったという話が残っている。

玄宗皇帝というと、楊貴妃の色香に迷い、安禄山に乱を引き起こさせた凡庸な皇帝だと思い、あまり良い印象を持っていなかった。この話を聞いて、彼の前半の統治である開元年間においては、なかなか粋なはからいをした皇帝だったと知り、少し好感を持った。


いま一つ、辺境の地にいる夫を想う女性の詩を紹介する。こちらは名前が残っている。内容は、読み下し文だけで充分に理解できる。

夫に寄せる   陳玉蘭(ちん・ぎょくらん)

夫は辺関を戍(まも)り 妾(われ)は呉に在(あ)り

西風妾(われ)を吹き 妾(われ)は夫を憂う

一行の所信 千行の涙

寒(かん)は君の辺に到るも 衣(ころも)は到れりや無(いな)や


次も唐代の女性の詩だが、これは西域詩ではない。面白い詩なのでここで披露したい。

夫を辺境に送り出した妻だけでなく、役人の妻も夫の科挙試験の合否を心配した。進士科の試験はとくに難しかった。たとえ進士に合格しても、栄達するにはさらに博学宏詞科などという上級試験があったそうだ。この詩の中の試験が科挙のどの試験なのかはわからない。

吐羔(と・こう)という役人の妻・趙(ちょう)氏という女性の、「夫下等・夫の落第」というユーモラスな題である。この「趙氏」は先の「陳玉蘭」と同じく、「名媛」と『全唐詩』の中で紹介されている。「良家の子女」という意味である。


夫下第(夫の落第)   杜羔(とこう)の妻趙(ちょう)氏

良人は的的(てきてき)として 奇才有るに

何事ぞ年年 放(はな)たれて回(かえ)る

始今(いま)妾(わ)が面(かお)は 君の面(かお)に羞(は)ず

君若(も)し来る時は 夜の近きに来たれ

落第したのだから白昼堂々と帰ってくるな、と言っているのだ。きびしい奥さんだったようだ。奥さんに尻をたたかれて、杜羔という人は頑張って勉強したようだ。何年か後にやっと合格した。奥さんはまた詩をつくっている。「聞夫杜羔登台・夫杜羔が及第したと聞いて」という題である。

長安 此去(これより) 無多の地

鬱鬱葱葱(うつうつ・そうそう)として 佳気(けいき)浮かぶ

良人得意にして 正(まさ)に年少

今夜酔いて 何処(いずこ)の楼にか眠らん

及第すればしたで、妻にはまた別の心配がある。長安はもはやおそるべき土地ではなくなり、及第した夫は意気軒昂として、まるで若者気取りであろう。勝利の美酒に酔って、今夜はどこの妓楼で眠っていることやら。


この話は、陳舜臣の『唐詩新選』の中に出てくる。

きびしい、かかあ天下のように見えるが、このようなユーモラスな詩をつくることからして、おおらかで明るい人柄の女性の気がする。役人仲間の奥様連中から好かれた、頼りにされた女性の気がする。役人の奥様仲間ではリーダー的な存在だったのではあるまいか。

ちなみに、この杜羔(と・こう)という人は白居易と同時代の人だ。「官は振武節度使から工部尚書(建設大臣)に至った」とあるから、ずいぶん立身出世した人である。内助の功が大きかったのだろう。

白居易の最後の官職は「刑部尚書(法務大臣)」だから、この二人は役人・政治家としてはいわば同格の地位だ。高級官僚だから詩をつくったのは間違いない。そう思い、この杜羔という人の詩を探してみたのだが見つからない。残ってないところから察し、奥さんに比べるとご主人は詩が下手だったように思える。











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