2026年6月25日木曜日

明治以降の定年(2)

 それでは、陸軍の大佐(聯隊長)の定年を55歳に定めた理由はどこにあるのか。「体力」というのが第一の理由の気がする。


私は以前、『香月経五郎と三郎の美学』という小冊を書いた。その中での話である。

明治37年11月30日、乃木第三軍の配下にあった後備歩兵第十五聯隊長の香月三郎は、聯隊の三分の一の900人の決死隊を率いて203高地を攻略した。頂上の占領に成功した後、生き残った15人の部下と共に山を下りたのは12月6日である。この聯隊の203高地での戦闘は8日間におよんでいる。出撃するとき各人は2日分の食糧と水を背負っていた。旅順の山頂の寒風の中で岩肌にしがみつきながらの戦闘で、この間、香月聯隊長はほとんど睡眠をとっていない。戦死した戦友やロシア兵の持つ水・食糧で命をつないだのであろうが、この成功の裏には聯隊長の強い精神力と同時に強靭な体力があった。

戦場においては、ときに、このような過酷な環境に身を置くことがある。聯隊長に強靭な体力が求められたことは理解できる。

先表の大佐の定年「陸軍55歳・海軍54歳」に、私は首をかしげている。海軍大佐の場合、大型艦の艦長・航空隊の司令だから、陸軍の聯隊長にくらべると戦闘時においてもそれほど体力を要しない気がする。これが逆であれば納得できるのだが、海軍大佐の定年が陸軍大佐より1歳若いことの理由は、私にはわからない。

数年前、私は役職定年という制度に興味を持った時期がある。お客様の人事の方々にお会いするたびに「おたくの役職定年は何歳ですか?」としきりに聞いていた。「うちは54歳です、うちは55歳です」と決まってこの二つの年齢を答えられた。他の年齢は聞いたことがない。ははあ、ここは海軍式だな、ここは陸軍式だな、と思った。

軍が定年を定めた二つ目の理由は、「新陳代謝」という考え方であろう。陸士・海兵を卒業した若い将校に対して、適度なインターバルで、昇進の機会を与えてやらなばならない。

この二つの考えを基に陸海軍の定年制が決まり、それを真似して明治以降の大企業は定年・役職定年を定めたのだろうと私は考えている。

第二の理由については今なお考慮する必要があるが、第一については現在は大きな意味を持たない。企業はすでにこのことに気付いて、役職定年および定年そのものを伸ばしているのだと思う。


私は、定年を65歳にあるいは70歳に延長すべきだという、積極的な自分の考えは持っていない。ものごとには一長あれば一短がある。各企業が考えれば良いことで、正直どっちでも良いと思っている。定年問題について国が指針を出すのもどうかな、と否定的に考えている。

ただ、私がどう思おうが、多くの日本企業の定年は今後3年以内に65歳になり、5年以内に70歳になるに違いない、と考えている。

国家が行うべきことは、定年延長の指針を示して企業に圧力をかけることではなく、健康で働く意欲がある60代・70代・80代の人たちが、やる気が出る政策を実行することではあるまいか。改革すべきと考えるのは、たとえば年金支給の問題である。65歳以上の人で一定金額以上の収入のある人には、基礎年金は支給されるが厚生年金は支給されないと聞く。

この考え方の背景には、奈良時代から現在まで続く、貧富の差を少なくしようとする日本特有の平等思想がある気がする。ある意味、社会主義的なものの考え方であり、これは仏教の影響から来たものだと思う。私自身はこの考え方は立派で尊重すべき考えだと思っている。西欧文明にはあまり見ない優れた点だと思う。ただ、年金支給の問題に関しては、元気な高齢の日本国民のやる気を削いでいるのではないかと心配している。

「年金は貴殿が支払ったものが原資なので、その年齢が来たら希望者には全額支給します。その後、働ける人は年収一千万円でも二千万円でも稼いでください。そして、それにふさわしい所得税を国に収めてください」このような考えを国民に示し、元気な60代・70代・80代の国民にやる気を起こさせることが大切ではあるまいか。そうすれば、国全体が明るくなり活力がみなぎり、日本全体の国力が強化されるのではないか。私はこのように考えている。


吉野山 中千本の桜








2026年6月18日木曜日

明治以降の定年(1)

 長いあいだ「シルクロードのものがたり」という題で、転職に関係ないことを掲載してきた。「人材紹介会社だろ、もっと仕事に関係あることを書いたら」と、お叱りに近いアドバイスをいただいたこともある。もっともだと思う。

ごく最近のことだが、「小さい会社だが定年90歳の会社が東京の港区にあるらしい」という噂を聞いた。この会社のことは、後半でお話ししたい。

ここでは、「明治以降の定年」・「奈良時代・平安時代の定年」・「江戸時代の定年」・「定年90歳の会社」・「大学卒の初任給50万円」という題で、日本企業の「定年」と「初任給」の問題について、数回にわたり考えてみたい。


まずは「定年」についてである。いま流行のAIに「日本の定年制は?」と聞いてみると、「日本の定年は法律上は60歳未満の定年は禁止されていて、65歳までの雇用確保が企業の義務、70歳までの就業機会確保を企業の努力目標としている」と答えてくれる。

数年前、このブログで「奈良時代の役人の定年70歳」と題して二回ほど掲載した。AIさんの言うのが正しければ、現在の日本は定年に関しては、奈良時代に戻ろうとしているかのようだ。大化の改新時や奈良時代の定年については、後半でもう一度簡単に振り返ってみたい。

まず最初に、明治維新以降、明治・大正・昭和から現在まで続いている「大企業の定年制度」について、どのような理由でこのように定められたのか考えてみたい。

数年前には「54・5歳で役職定年になります。その後は給与が大幅に下がるので、今の給与がキープできる会社があれば転職したい」とおっしゃる方が少なからずおられた。この種の転職希望者はこの1、2年減っているような気がする。企業が役職定年を伸ばしているのか、もしくはその年齢に達し役職定年になった場合でも給与の減額を少なくしているのか、いずれかであろう。若者の人口が減っているので、高齢者に働いてもらわないと困るのかも知れない。

それでも、今なお、この役職定年という制度は、いくつもの大企業では残っている。日本の大企業はなぜ、こういう制度を定めたのであろうか。


私は学生時代から戦記物の本を読むのが好きで、かなり多く読んできた。それらの知識から、「明治以降の大企業の定めた定年・役職定年は、旧陸軍・海軍の定年制を真似したのではあるまいか」と以前から考えている。明治・大正期だけでなく昭和になってからも、大企業の場合「役員を除く職員の定年そのものが54歳・55歳」というケースが多かった。

「陸海軍現役将校定限年齢表」というものが手元にある。明治・大正・昭和とも大きくは違わない。昭和期の表には次のようにある。

大佐  陸軍55歳 海軍54歳

少将  陸軍58歳 海軍58歳

中将  陸軍62歳 海軍62歳

大将  陸軍65歳 海軍65歳

ここでは「大佐」という地位に焦点を当てて定年について考えてみたい。というのは、陸軍士官学校や海軍兵学校を卒業した若手将校たちが、立身出世の一つの頂点と考えていたのがこの大佐のポジションであったからだ。もちろん上位5パーセントほどの優秀な将校は陸軍大学校・海軍大学校に進み、将官を目指した。しかしこの将官というものは能力以上に運の部分が大きく、「大佐まで昇進できれば、まずは成功」というのが陸士・海兵を卒業した若手将校のほぼ共通した認識であった。

大佐の位階(いかい)は「従五位・じゅごい」だから、国家の定める社会的地位は県知事と同格だ。この位階というものは、天皇と本人との距離を示す。陸軍なら三千人の将兵を指揮する聯隊長であり、海軍なら巡洋艦・戦艦などの大型軍艦の艦長、もしくは航空隊の司令で千五百人から三千人の将兵を指揮した。中央官庁に勤務する大佐は、陸海軍共に「課長」で、極めて大きな権限を持っていた。

給与は昭和期であれば、月額370円・年額4400円で別に賞与が出た。戦地勤務の時は別に戦地手当てが出た。べらぼうに高いとはいえないが、定年まで勤務すれば子供に大学教育を受けさせ、貸家の2、3軒を持つことができた。それに加えて軍人恩給が相当高額であったから、家族を含めた自身の生活には困らなかった。もっとも、太平洋戦争の敗北により軍人恩給の支給停止とインフレによって、かつての職業軍人の生活が困窮したのは事実である。


筆者近影