名馬の見抜き方、有能な人材の見抜き方、について考えてみたい。
古代の中国の王様は、有能な人材と名馬とを血眼で探し求めた。
この二つがないと、国が滅びてしまうからである。
建安5年(AD200)、劉備玄徳は、山里で晴耕雨読しながら修行をしていた賢人・諸葛亮孔明を文字通り三度もそのあばら家に訪問して、これを口説き、自己の配下に入れた。
そして、蜀漢の建国に成功した。
馬は当時の戦車であった。
諸国の王様は、きそって千里の馬を探し求めた。
現在の日本では、名馬を探し求めている人はいるにはいるが、競馬の馬主とか、大学の馬術部とか、オリンピックの馬術関係者とか、その数は限られている。
これに比べ、有能な人材に関しては、現在でも多くの経営者が、昔と同じく血眼で探し求めている。我々ヘッドハンターは、お客様の手下として、「有能な人材はいないか?」と日夜、東奔西走している。近頃は、一日中オフィスのパソコンの前に座り、データベースとにらめっこしながら、候補者の学歴・職歴・TOEICの点数などをながめながら、偽物の人材を追っかけている人材コンサルタントもいるらしい。
有能な人材とはどのような人なのか?
どこに着眼して探せば、それを発見できるのか?
この話は、劉備玄徳の三顧の礼より800年ほど昔の話で、時代は周の春秋時代、場所は六国の中で一番西に位置する秦の国での話である。
有能な人材を探し求めている経営者や、本気で東奔西走している本物のヘッドハンターには、この話はヒントになるかも知れない。
私自身、この「九方皐」を目指して努力しているのだが、今なお彼の足元にも到達できていない。
下記は、中国の「列子」からの抜粋である。
明(みん)の世徳堂の寛政復刻本を底本として、小林信明先生(1906-2003)が訳されたものに、筆者が少しだけ(注)を加えた。
秦の穆公(ぼくこう・在位前660-前621)が伯楽(はくらく)に向かって言うには、
「君の年齢は大分高くなった。君の一族の中に、良い馬を探せる人物がいるだろうか?」と。すると伯楽は、次のように返事を申し上げた。
「良い馬は、姿形や筋肉骨格の様子を見て目利きすることができます。けれども、世に優れた馬(千里の馬)ということになると、目に見えないようでもあり、隠れているようでもあり、また、いないようでもあり、逃げてしまったようにも思えるものです。このような馬こそ、塵(ちり)の立っていない所を走り、また、ひずめの跡を残さないといった、きわめて速い馬なのであります。
私の子供らは、いずれも才能の低い者で、良い馬を探すことはできましょうが、世に優れた馬(千里の馬)を探すことはできません。
私のもとに、平生生活の労苦を一緒にしてきた人物に、九方皐(きゅうほうこう)という者がおります。この男が馬を見る目は、決して私に劣るものではありません。どうかこの男にお会いして頂きたいと存じます」
そこで穆公は、九方皐に会い、馬を探しに行かせた。
三箇月たつと帰ってきて、
「もはや手に入れました。沙丘で見つけました」と報告した。
穆公が、「どんな馬か?」と尋ねると、「牝で黄色の馬です」と申し上げた。穆公が人をやって連れてこさせると、牡で黒い馬であった。穆公は不機嫌になって、伯楽を呼び出して言った。「失敗した。君が馬を探させた男は、色合いから雌雄(めす・おす)さえも、弁別することができない。そんなことで、どうして馬の見分けができるものか」
これを聞いた伯楽は、大きなため息をついて言った。
「なんと、そこまで行きましたか。これこそ彼が私に数千倍すぐれていて、量(はかり)ようのない点です。九方皐が目を配る点といったら、自然に備わっている資質についてであります。いちばんすぐれた点をつかまえて、できの悪い点は問題にせず、内面的なできを明らかにして、外面的なことは問題にしません。目をつける点には十分目をつけて、目をつけなくても良いような点には目をつけません。じっと目をすえる点には十分目をすえて、目をすえなくても良いような点には、心にかけません。九方皐の馬の見立てといったら、それこそ馬そのものより大事に考えている点がある、といった次第であります」
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