2019年4月1日月曜日

さまざまのこと思い出す桜かな  芭蕉

「さまざまのこと思い出す桜かな」

この句を知ったのは30歳のころである。
ただ、これは太平洋戦争に従軍した我々の父や祖父の世代の人の作品だと、長い間勝手に思い込んでいた。芭蕉の句だと知ったのは、10年ほど前である。

解説によると、この句を詠んだのは、奥の細道の旅に出る1年前、元禄元年(1688)、芭蕉が45歳の時だという。

芭蕉の本名は松尾宗房といい、伊賀の国・藤堂藩に仕える下級の武士であった。
文学を好む若き主君・藤堂良忠から格別の寵愛を受けていた松尾は、主君良忠が主宰する花見の宴にも呼ばれていた。

あろうことか、寛文6年(1666)の花見の宴の直後、良忠は25歳の若さで急逝した。22歳の松尾は失意の中、当家を退き京都に遊学する。

どのような手続きで武士から平民になったのかは知らない。
徳川幕府の威光輝く頃だから、幕末の阪本竜馬のような脱藩という形ではなかったと思う。
ただ、身を隠すように、淋しく郷里を後にしたであろうとは想像できる。

京都での遊学の後、江戸に下った彼は、松尾芭蕉の名で俳諧の巨匠として、その名を全国にとどろかせる。

父の33回忌の法要で、芭蕉は郷里の伊賀・上野に帰省した。
この時、22年前幼児であった藤堂宗忠の長男・良長が藤堂家の当主で、芭蕉を非公式な形での花見の宴に招いたのだという。この句は、その花見の宴での作である。


今春も、母校成蹊学園の桜祭り、2・3の友人との花見の予定がある。お酒を飲みながらの、気の合う仲間たちとの歓談は楽しい。

ただ、この数年、思うところがある。
単に桜の花を愛でているだけではないような気がする。目の前の友人たちとの歓談だけを楽しんでいるのではない気がする。

幼少のころ、優しくしてくれた両親や祖父母、近所の老人たちの顔がまぶたに浮かぶ。
高校・大学時代の恩師・先輩・友人たちの顔がよぎる。社会に出た若いころ、親切にしてくださった先輩や上司の方々のことを想う。すでに亡くなられた方も多い。

これは私だけでないと思う。

すべての日本人にとって、桜という花は、特別な花なのである。
桜を見ることによって、過去の出来事、親切にしてくださった方々のことを想う。


「さまざまのこと思い出す桜かな」

平凡な言葉だけを使ったこの句が、多くの日本人の胸に響いてくる、その理由がわかるような気がする。








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