2019年4月16日火曜日

カーネギー15歳の転職(2)

下記は「カーネギー自伝」からの抜粋である。

あまり長くなるといけないので、筆者の判断で少し短くした。
坂西志保氏の翻訳であるが、素晴らしい名訳だと思う。
以前は「角川文庫」から出版されていたが、今は「中公文庫」で簡単に手に入る。
英語の良くできる方は、原書で読まれるのも良いかと思う。


私は辛い仕事をしていたが、希望を高くもって、事情は変わるであろうと楽観していた。
ある日、そういう機会がめぐって来た。

ある夜、仕事から帰ってくると、市の電信局の局長であったデーヴィッド・ブルックさんが、ホーガン叔父に、電報配達夫になる良い少年を知らないか、と問われたのだ、と告げられた。
二人はチェスの仲間だった。

私は躍り上がって喜んだ。母はすぐ賛成したが、父は私の希望をかなえてくれそうになかった。
週2ドル50セントの給料を出すということから判断すると、相手はもっと大きな少年を希望しているのではないか。夜おそく、田舎に電報を配達するのだから、危険に出会う恐れがある。と父は言う。
しかし、少したって父は反対をひっこめて、まあやってみるのもよかろうと譲歩してくれた。

私は河を渡ってピッツバーブ市は行き、ブルックさんに会うことになった。
父は私と一緒に行くと言ってくれたが、電信局の入り口で、私は父に、外で待っていてくれと頼んだ。

この面接は成功であった。

私は慎重に自分はピッツバーグ市を知らないこと、しかし、できるだけ早く学ぶつもりであることを話し、同時に自分としては、とにかくやってみたいことなど、つつましやかに話した。ブルックさんは、いつから仕事にかかれるかと聞いた。そこで、私は、もしご希望なら、今からすぐ始めることができると答えた。

私はすぐに階下に降りて行き、街角に走って、父に万事うまくいったのを告げた。
私が採用されたことを母に、早く知らせてくれるように頼んだ。

このようにして1850年に、私は本格的に人生の第一歩に旅立ったのであった。
1週2ドルで、暗い地下室で石炭の塵でまっくろになっていた私が、急に天国へ引き上げられたのであった。

この場面を回顧して、私の答えは、青年たちの参考になるのではないかと思う。
機会をその場で捉えないのは間違いである。この地位は私に与えられた。
しかし、なにが起きるかもしれない。たとえば、誰か他の少年が現れるかもしれない。
私は職を与えられたのであるから、できればすぐにその仕事にかかりたいと申し出たのである。











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