2019年12月11日水曜日

熱田神宮(2)

この熱田神宮の主神は熱田大神(あつたのおおかみ)である。

相殿(あいどの)神として、天照大神(あまてらすおおみかみ)・素戔嗚命(すさのおのみこと)・日本武尊(やまとたけるのみこと)・宮簀媛命(みやすひめのみこと)・建稲種命(たけいなだねのみこと)をお祀りしている。

熱田大神とは草薙剣(くさなぎのつるぎ)のこと、といわれている。「日本書紀」に、「草薙剣は尾張吾湯市(あゆち)村にあり。すなわち熱田祝部(ほふりべ)所掌の神これなり」と記されているところから、この剣は古くから熱田神宮の祭神であったことがわかる。

ただ私は、もともとの熱田大神とは、縄文時代にこの地で人々から尊敬を受けた、有徳の先人を祀ったものであろうと考えている。宮簀媛は尾張国造(くにのみやつこ)の娘で、東征のおり日本武尊が迎えた妃(きさき)である。建稲種はその兄で、日本武尊の副将軍として軍功を立てた人だという。

日本武尊は駿河(古事記では相模)の国造に謀反(むほん)され、草薙剣で難をのがれ、これを征伐する。景行(けいこう)天皇の御世(日本武尊は第二皇子)、天皇家は各地の国造の娘と多くの皇子とを政略結婚させたり、あるいはそれを征伐しながら、列島の大部分をその勢力下に置いていった。

大和朝廷が、東北地方をのぞく日本列島のほぼ全域をその勢力下に置いたのは、この12代・景行天皇の時代だと思われる。もちろん、国造である各地の豪族との微妙な政治バランスに立った上でのことであるが。


ここで、私の故郷である広島県東部にある、浦崎(うらさき)という小さな村の神楽(かぐら)の話をご紹介したい。神楽のさかんな村で、秋になると私は東京から帰省して、村祭りの神楽を楽しむ。
浦崎神楽隆盛の功労者は、佐藤頼久(さとうよりひさ)氏、檀上弘行(だんじょうひろゆき)氏の2人の村の長老である。

先日、これを観覧していて驚いた。

村の少年が古代の衣装を身につけて、剣を持って舞うのだが、
「やあやあ我こそは、景行天皇の第三十五皇子(たしかそう言ったと記憶する)〇〇であるぞ!」
と、大声で名乗りを上げたのだ。
景行天皇には80人以上の子供がいたというから、40人前後の皇子がいてもおかしくない。

どうやら、我が故郷の小さな村にも、その昔、日本武尊の弟皇子がいらっしゃったらしい。我が村の
ひとびとは皆温厚で人柄が良いから、謀反など起こさないでおとなしく大和朝廷に威に服したのであろう。










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