神功皇后の朝鮮遠征、白村江の戦い、蒙古襲来など、わが国が国難に遭遇した時、我々の先祖は常にこの宗像大神(むなかたのおおかみ)に祈った。
そして、日本が滅びるかもしれないというほどの国難が、110年ほど前ふたたびおとずれた。
日露戦争での日本海海戦(外国では対馬沖海戦と呼ぶ)である。帝政ロシアが日本征服の野望を持って、大艦隊を極東まで派遣してきたのである。
日本海海戦の砲声を聞き、その戦闘を目撃した民間人は、沖ノ島にいた宗像大社の神官と雑役の少年の2人だけである。
島の山頂に設置された海軍の見張り台から、社務所までひかれていた電話線で、「バルチック艦隊が沖ノ島にせまった」との水兵の声が飛び込んできた。
それを受けた宗像大社の主典・宗像繁丸(むなかたしげまる)は、褌一本の素っ裸になり海岸へ駆け降りた。岩の上から海へ飛び込み、潔斎(けっさい)をしたあと、装束をつけて社殿へ駆けのぼった。宗像繁丸は社殿で懸命に祝詞(のりと)をあげた。
その間、砲声が矢継ぎばやにひびいた。宗像のうしろにすわっている18歳の少年・佐藤市五郎も泣きながら祝詞をとなえた。この一戦に敗ければ、日本という国は滅びると思ったからである。
結果は、日本の聯合艦隊の圧倒的な勝利に終わり、バルチック艦隊は壊滅した。
この海戦で撃沈されたロシアの軍艦は、戦艦6隻・巡洋艦4隻・海防艦1隻・駆逐艦4隻・仮装巡洋艦1隻・特務艦3隻である。捕獲されたものは、戦艦2・海防艦2・駆逐艦1、抑留されたもの病院船2、脱走中に沈んだもの巡洋艦1・駆逐艦1で、他の6隻(巡洋艦3・駆逐艦1・特務艦2)は、マニラ湾や上海などの中立国の港に逃げ込み、武装解除された。
わずかに遁走(とんそう)に成功しロシア領に逃げ込んだのは、ヨットを改造した小巡洋艦1と駆逐艦2、それに運送船1にすぎなかった。
これにたいして、わが聯合艦隊の損害は、小型の水雷艇3隻沈没、と記録に残っている。
宗像の三女神、とりわけ沖ノ島に鎮座されているしっかり者の長女・田心姫(たごりひめ)は、渾身の力をこめてわが国を護ってくださったのである。
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