2019年12月23日月曜日

熱田神宮の「おほほ祭り」

熱田神宮の「おほほ祭り」についてご紹介したい。

この祭りを観るために、平成25年5月4日の夜、5回目の熱田神宮参拝をおこなった。

年に一度、5月4日の夜、あたりが暗くなってから、境内の森の中を木沓(きぐつ)を履いた神官十数名が歩き、数箇所の決められた場所で、「オホホ、オホホ、、」と笑う。ただこれだけの神事である。

正式名称は「酔笑人(えしょうど)神事」といい、これを1300年以上も続けているのだという。

天智天皇7年(668)、熱田神宮のご神体である「草薙剣」が新羅の僧・道行(どうぎょう)に盗まれた。道行は摂津(せっつ)国から出港を図ったが、海難に遭い難波に漂着した。危ないところでこの剣は盗難をまぬがれた。なぜ新羅の僧がこれを盗んで母国に持ち帰ろうとしたのか、その真意はさだかではない。

「尾張の田舎の神社に置いておくからこんなことになるのだ」と、天智天皇はこれを取り上げて、
近江(おうみ)の御所に保管してしまった。

私のまったくの推測であるが、東国の古社・鹿島神宮の出身であり、当時律令制度を導入して中央集権国家を建設しかけていた、側近の中臣鎌足が熱田神宮に嫉妬して天智天皇に進言したのではあるまいか。ところが、これ以降、皇室に不幸が続く。

天智天皇はこの3年後(671)、46歳の若さで崩御された。そのあとすぐに起きたのが、古代史最大の内乱である壬申(じんしん)の乱である。これに勝利した大海人皇子が天武天皇として即位するが、この天武天皇が病にかかられる。

「これは草薙剣の祟(たたり)である」ということになり、天武天皇14年(686)、18年ぶりにこの剣はもとの熱田神宮に戻された。この年の10月1日、天武天皇は崩御された。5月4日に熱田神宮に草薙剣が返還された半年後である。

草薙剣がもどった熱田神宮はおおいに喜んだ。しかし、皇室の不幸が続いていた最中なので、おもてむき祝いの行事はできない。よって、このような奇妙な神事をおこない、密かにこれを祝ったのだといわれている。


神社巡りの仲間である同じ中野区に住むU君にこの話をしたら、ぜひ観に行きたい、と言う。
郷里の広島県にも、もう一人神社好きの友人がいる。小学校1年生からの友人のD君だ。黙って抜け駆けしたらあとで文句を言われそうなので、彼にも声をかけた。「一緒に行きたい」と言う。

名古屋には、U君や私と大学時代の学友であるH君が住んでいる。同学年だが我々より2歳年長だ。このH君は、学生時代からなんとなく偉い感じがする人で、我々は昔からこの人のことを、剛堂(ごうどう)先生と呼んでいる。この剛堂先生にも声をかけたら、「わしも行く」という返事だ。
4人は名古屋のホテルで落ち合うことにした。










0 件のコメント:

コメントを投稿