2019年12月9日月曜日

神社のものがたり・熱田神宮

尾張の熱田神宮は大好きな神社で、今までに5回参拝した。

そのような関係ではないが、気分的には私はこの神社の氏子(うじこ)のつもりでいる。次のようなことがあったからだ。

10年ほど前、私は農作業日誌のような軽いエッセーを出版した。その中で、
「日本武尊(やまとたけるのみこと)が、東征のおり尾張の神社に立ち寄られたとき、村人が漬物を献上した。尊はその旨さに感嘆され、”神物(こうのもの)”と言われた。これが漬物を”香の物”と呼ぶ語源である。日本で唯一の漬物神社が名古屋の甚目寺(じもくじ)町に今でもある。萱津(かやつ)神社という」、と書いた。

本が出来あがったのだから、お届けするのが礼儀であろうと思い、1冊をリュックに入れてこの萱津神社を訪問した。秋の終わりの頃だった。

「よくおいでになりました」、宮司さんが親切に招き入れてくださった。
「ほう、うちの神社のことを書いてくださったのか。なになに、先生は日本武尊のことも書いておられるのか、、、、」、とこちらが恥ずかしくなるほどの持ちあげようである。
「きのう神社の秋祭りが終わったところです。今日は氏子さんたちが集まって慰労会をするんです。そろそろ料理も出来上がる頃かな、、、、」と、氏子さんたちが準備している隣の棟に向かわれた。

ぜんざいやあべかわ餅をいっぱい持って来られて、身内に言うように、「さあお食べ、さあさあ」と勧めてくださる。私は恐縮しながらも感激してしまった。

この萱津神社の由来を聞かせていただいた。農耕の神様である鹿屋野比売(かやのひめ)をお祀りしてあり、「豊作と縁結び」に絶大のご利益があるという。大きな神社ではないが、1900年以上の歴史を秘めたただならぬ古社である。

お礼を言って帰ろうとすると、
「ところで熱田さんには持っていかれましたかな。日本武尊のことを書いておられるから、1冊持っていかれたらきっと喜ばれると思いますよ」とおっしゃる。
私はおだてられるとすぐにその気になる性質(たち)だから、それは良い考えだと思い、「はい。すぐにお届けします」と答え、お礼を言って立ち去った。
(その後の市町村合併により、現在は、この神社は愛知県あま市にある)


名古屋駅近くのホテルに置いたバッグの中にもう1冊ある。それを持って熱田神宮にすっとんで行った。

社務所の受付で、自己紹介と本をお持ちしたことを説明しかけたら、奥にいる神官の一人がニッコリ笑って、手招きしながら、「どうぞ、どうぞ」と中に招き入れてくださる。
「ははあ、萱津神社から、変な男が本を1冊持っていくよ、ぐらいの電話を1本入れてくれたのだな」と思った。

聞けば、この1900年のあいだ、萱津神社は毎年自社で漬物を漬け、熱田神宮に献進されているという。中身は日本武尊が食べられたものと同じく、茄子・白瓜・蓼(たで)で、これを塩漬けにするという。この二つの神社は親分子分の関係なのか、すこぶる仲良しみたいだ。ここでもお茶とお菓子をいただき、しまいにはコーヒーまですすめてもらい大歓迎を受けた。私はとてもしあわせな気分で熱田神宮の鳥居をあとにした。

これで終わりではなかった。

数日後、私のパソコンに丁重な謝辞と読後感想文が送られてきた。最後までじっくり読んでくださったことがよくわかる。禰宜(ねぎ)・川崎日出夫とお名前が書いてある。あとで、この方は熱田神宮庁の総務部長という要職の人だと知った。

さらに数日後、熱田神宮庁の名前で正式な礼状が郵送されてきた。
「貴重な資料として永く文庫に収蔵します」と書かれてある。この丁寧さには恐れ入った。

それにしても、熱田神宮が「永く収蔵」してくださるとは心強い。
「草薙剣(くさなぎのつるぎ)と同じように、2000年ほどは保管してくださるのではあるまいか」、と友人たちに自慢した。

私の神社好きにさらに拍車をかけたのは、この二つの神社とのご縁と、両神社のご親切によるところがおおきい。



























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