「平服を着ていますが、それなりの身分とおぼしき男が門前に車で来ています。供を二人連れて、瓜を買いたいと申しております」と、作男が取りつぐ。
召平が薄暗い玄関まで出ていくと、その男は、「東陵侯どの!」と呼ばわる。暗くて誰か判然としない。ためらいをみて、その客は、「季布でござる」と大声で名乗った。何年ぶりになるだろう。会稽郡の項梁の館以来である。
「旨い瓜があるとのうわさを聞いたので買いにまいりました!」、と季布は大声で言う。
情報通の季布はすでに昨年の暮、召平が長安郊外の実家にもどり、瓜をつくっていることを知っていた。ただ、冬場に瓜を買いに行くのは不自然と思い、二年目の瓜の収穫期を心待ちにしていたという。
召平の自慢の瓜を、旨い旨いと食いながら、広陵や会稽での思い出話に花が咲く。政治向きの話はしない。ただ一言、「劉邦という人は器量の大きいお方ですなあ」と言った。土産に持ち帰る瓜の代価だといって、市価の二倍ほどの金(かね)を出す。召平は黙ってそれを受け取る。
帰り際に季布が問う。「また時おり瓜を買いに伺います。瓜の大好きな方がもう一人おられる。今度お連れしてもよろしいでしょうか?」
「わしの瓜を買ってくださる方なら誰でも大歓迎です。わしの生活の糧は今は瓜だけですからな」
季布があたらしい瓜のお客を伴って訪ねてきたのは、それからわずか三日後だった。その客人も平服を着て下僕を二人連れている。召平がはじめて見る顔だ。
「蕭何(しょうか)どのです」
前置きもなく、肩書も付けず、季布はいきなりそう言う。
(この男が漢の高祖・劉邦の三傑の筆頭として今をときめく宰相の蕭何か!)
英雄豪傑という風情ではない。ごく普通の人、といった感じの男だ。召平は軽く頭を下げる。
「こちらが東陵侯・召平どのです」
季布がこう紹介したのには驚いた。そうであろう。漢の宰相に対して、秦の爵位を付けて紹介するなど普通ではない。蕭何はいっこうに気にする風もなく、微笑をたたえたまま、優しいまなざしで季布をながめている。蕭何が季布を信頼し、その気質を好んでいるのが見てとれる。召平は、この蕭何という人物に強い好感を抱く。
後世の漢の史書は、季布の死後まで楚人が語り継いだ言葉として、「黄金百斤(ひゃっきん)を得るとも季布の一諾(いちだく)を得るに如(し)かず」と刻んだ。また、初唐の宰相・魏微(ぎちょう)は、唐詩選の巻頭の詩に、「季布に二諾無く、侯嬴(こうえい)は一言を重んず」と、敬意をこめてその名を書き残した。
その季布である。言ったことは変えない。召平も蕭何も、笑って聞くよりほかなかった。この季布の紹介の仕方は、軍人・政治家としてのそれではない。彼の侠客としての美学であったかと思う。
召平は「蕭何どの」と呼び、蕭何は「召平どの」と呼ぶ。普通の対等な関係とのお互いの認識である。政治向きの話はしない。瓜つくりの話に終始する。蕭何は、旨い旨いと美味を礼賛しながら召平のつくった瓜を食い、土産として大量の瓜を下僕に持たせる。
代金として市価の十倍もの金を渡そうとするが、召平はそれを制し、市価の二倍を受け取る。たかが瓜の代金である。十倍としてもたいした金額ではない。しかし、いわれなき金を受け取るわけにはいかない。この甘さこの旨さであれば市価の二倍は当然、との自負が召平にはある。
以来、何十年にもわたり、召平のつくる瓜の値段は市価の二倍、というのが長安の市場での通り相場となる。
「また時おり、瓜を買いに伺いたいと思います」
「そうぞ。どうぞ。大切な瓜のお客様が一人増えて嬉しいですよ」
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