2020年4月7日火曜日

天守閣のない江戸城

15年ほど前のことである。皇居前のパレスホテルでお茶をして内堀通りを歩いていたら、ボランティアの人たちが署名運動をしていた。その演説やパンフレットから、「江戸城の天守閣を再建しよう」という活動らしい。

「大阪城・名古屋城・姫路城には天守閣がある。江戸城にも立派な天守閣があったのです。火事で焼けて今はない。外国からの観光客は不思議に思っている。このままでは日本の恥です。これを再建すれば日本の人も喜び海外からの観光客も増える」というのが彼らの主張らしい。
「まずは100万人の署名を集め、東京都と国に陳情する」とおっしゃっていた。

たしかに明暦の大火(1657)で江戸城の天守閣は焼け落ちた。徳川4代将軍・家綱の後見人であった保科正之(ほしな・まさゆき)という人が、「そのようなものを造る金があれば江戸庶民の生活を優先すべし」と一喝し、鶴の一声で、天守閣の再建は取り止めになったのだという。

以来、15代・徳川慶喜に至るまで、歴代の将軍のだれもがこれに手をつけなかった。維新ののち江戸城は皇居となったが、5代の天皇のだれからも、天守閣再建の声はあがっていない。江戸城の主のすべてが、この保科正之の考えを「是」としていたからであろう。

同時期の欧州であれば、おそらく早々と城の再建がなされたに違いない。中国や朝鮮なら、民の生活を犠牲にしてでも、すぐさま実行されたと思う。徳川幕府の威光が隆々たる時であったから、その気になれば天守閣の再建など楽々とできた。しかし行わなかった。これが日本の「お国柄」である。


私はボランティアの方々にこの話をした。
「恥ではありません。天守閣のない江戸城はむしろ日本の誉(ほまれ)だと思います。なぜ江戸城に天守閣がないのか、外国の人々にていねいに説明してあげるのが良いと思いますよ」と。

しかし彼らの反応はかんばしくない。わからずやのおじさんが変なこと言っているよ、といった感じで白い目で睨まれてしまった。価値観の違う人に説明しても分かってもらえるものではない。私はそれ以上は語らず、しょんぼりとその場を立ち去った。

あれから15年ほど経つが、江戸城の天守閣再建の話は聞こえてこない。もしかしたら、私以上にこの話をよくご存じで、保科正之の考えを「是」とする日本人が数多くいらっしゃるのかも知れない。嬉しいことである。





0 件のコメント:

コメントを投稿