2020年4月1日水曜日

人間魚雷・回天(3)

先述したように「回天」の意味は、この新兵器により負け戦(いくさ)の続いている戦局を逆転させたい、天を回すように戦局を一変させたい。このような乾坤一擲の思いを込めて、黒木大尉は「回天」と名付けることを提案した。長い間、私はそう考えていた。

ところが20年ほど前、中国の古典を読んでいて、「回天」という言葉にまったく別の意味があることを知った。「誤った天子さまの心を、もとの正しい心にひきもどす」という意味があるのだという。

残念ながら出典は覚えていない。うろ覚えの記憶だけが頼りなので、多少の間違いがあるかもしれない。たしか、唐か宋の時代の話だったと記憶する。

古来中国においては、天子さま(皇帝)が一度くだした言葉(勅語・ちょくご)をくつがえすことはできない。しかし、皇帝の誤った命令によって多くの民があきらかに不幸になると考えられる時は、臣下は皇帝に進言できる。制度上これは可能だったという。これを直諫(ちょっかん)という。

ただし直諫した臣下は、このあとすぐに自決しなくてはならない。これを諫死(かんし)という。進言が当初の案に比べて悪い結果を招くことがある。これでは天子さまにも民にも申し訳ないので、一死をもって償うという考えには納得できる。進言が正解で、国家にも民にも良い結果をもたらしたとする。この場合でも自決しなくてはならない。なぜなら、本人の存命中は問題ないであろうが、本人の死後、忠臣の子孫が政治勢力を拡大させ、何十年か後、国政を誤らす可能性があるからなのだという。

そういえば、「うつけ者」と呼ばれていた少年時代の織田信長を直諫した家老が、そのあとすぐに自決したのを、昔、映画で観た記憶がある。


気になって手元にある広辞苑(第二版・昭和51年刊)を開いてみた。たしかに、そう書いてある。
[ 回天 ](天をひきまわす意)
①時勢を一変すること。衰えた勢いをもりかえすこと。
②天子の心をもとの正しさにひきもどすこと。  とある。
念のため、平成19年の第六版の広辞苑を開いてみた。こちらには旧版②の意味は削られていて、②第二次大戦末期、日本軍が敵艦への体当たり攻撃に用いた人間魚雷。とあった。

東洋思想に造詣の深かった黒木大尉は、この二番目の意味を知っておられたのではあるまいか。
もしかしたら。もしかしたら。と私は思った。

「天皇陛下様。この戦(いくさ)は勝ち目がございません。このままでは日本国民に塗炭の苦しみを与え、民族は滅亡します。我々は敵の艦隊に体当たりして立派な戦果をあげてみせます。戦局を好転させてみせます。これを講和の材料として、名誉ある形でこの戦をやめて下さいませんか」

黒木大尉はこのような思いを込めて、この兵器に「回天」と名付けることを提案したのではあるまいか。

このような気持ちを持って、私はこの20年、回天に関する新しい書籍が出るたびに購入して、目を皿のようにして読んでいる。しかし、どの書物にもこのようなことはひと言も書かれていない。黒木大尉・仁科中尉の遺書や日記をたんねんに読んでみたが、これを裏付ける言葉は片言もない。

私の誤った想像であろうか。それとも、回天という言葉が持つ二つの意味の、まったくの偶然なのであろうか。私は不思議な気持ちを抱きながら、この20年、時々このことを考えている。


そして、出撃の時、すでに走航開始した伊号潜水艦の艦上から、軍刀を振りながらこちらを向いて、あとに残る日本人に別れの挨拶をする回天隊の若者たちの姿が見える。

じっと耳を澄ませば、彼らの声が聞こえてくる。

「日本人よ負けないでください。そして、どうぞ幸せになってください!」  




















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