2026年7月9日木曜日

江戸時代の定年(1)

 江戸時代の定年についてながめてみたい。この時代の定年は、幕府や藩が定めたのではなく自分自身が決めていたようだ。表向きは江戸時代の定年はずいぶん早い。各人それぞれなので、正確には言えないが、おおざっぱな数字でいえば45歳とか50歳ではあるまいか。

それは、武士階級では50歳ぐらい、早い人では45歳ぐらいで「隠居」していたからである。江戸時代のサムライの家禄は、よほど大手柄を立てないかぎり、何百年間も変わらなかった。理由はGDPが増えなかったからだ。しかし貨幣経済なのでインフレはあった。よって、幕末のサムライの多くは副業(アルバイト)に精を出していた。

江戸時代中期の少し前、全国の多くの大名が、堤防を築きまた荒野を開墾して田畑を増やすべく努力している。これにより、ある程度の国土の農耕面積は拡大している。しかし世界各地に植民地を獲得し、また産業革命に成功したオランダ・イギリスをはじめとする欧州列強のような、急激なGDP増加と人口増加は江戸時代の日本では起きていない。

当時は結婚が早かった。父親が50歳になると長男が30歳を超えることも珍しくなかった。30を過ぎた息子を無職でブラブラさせるわけにはいかない。父親が隠居して長男に家督をゆずるケースが多くなる。武士階級のこのようなやりかたを、豪商たちも真似るようになる。


鬼頭宏という歴史人口学者が書いた『人口から読む日本の歴史』という良書がある。これによると、慶長5年(1600)の日本の人口は3128万人、246年後の弘化3年(1846)は3230万人とある。ちなみに、この本には明治6年3330万人、大正9年5596万人とある。GDPが増えないから二百数十年間、人口が増えなかったわけだ。

興味をそそられるのは、若くして隠居した(定年になった)サムライたちが何をしたかということだ。もちろん、本当に隠居して盆栽の手入れをしたり、歌舞伎などの芸能を楽しみながらブラブラ遊んだ人もいたであろう。

しかし、隠居したあとも、多くのサムライたちは何かしら仕事をしていたようだ。剣術指南や四書五経を教える儒学の師匠、このあたりは常識的である。絵師・書家・和歌俳諧の師匠になったサムライも多い。なかにはヘンテコな仕事を始めた人もいる。古典落語に「あくび指南」という演目がある。あくびの仕方を教えてお金を取っていたサムライがいたとういうから驚く。

ユーチューブで、「小三治、あくび指南」と検索するとこれを聞くことができる。何人もの落語家の「あくび指南」があるが、小三治が群をぬいて面白い。


談山神社の桜







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