2020年3月17日火曜日

塩と大豆・国家非常時の輸送

昭和19年12月末、大東亜省に勤める31歳の大来佐武郎(のちの外務大臣)は、大陸出張を終え、釜山経由で帰国した。B29の落とした機雷や潜水艦攻撃で対馬海峡は危険だった。

満洲には鉄鉱石・銑鉄・石炭・アルミ原料・塩・大豆が大量にある。しかし、大陸との海上輸送を維持できるのはあと半年、昭和20年6月か7月までだろうと思った。「そうであれば何を運ぶのが一番日本のためになるのか?」と大来は考える。

20年1月早々から多くの識者に意見を聞いてまわった。その中の一人、化学工業統制会会長の石川一郎(戦後・初代経団連会長)は即座に言った。「それは塩と大豆です。塩は人間の生存に欠くことができない。大豆はカロリーの高い蛋白源です」

なっとくした大来は、「塩と大豆を輸送すべし」との報告書をまとめ、上司とともに陸軍省・海軍省を説いてまわった。軍は鉄やアルミにこだわるのではないかと懸念していたが、意外にすんなりと同意した。陸軍の軍務課長は、「それは大事だ。最後のぎりぎりには本土決戦になる。その場合にはやはり食糧がいちばん大事だ」と言った。

ただ、輸送のための船舶が極端に不足している。1万トン・五千トン級の大型船の多くは沈められている。残った大型船も港に入港できない。米軍は日本海側の大きな港を封鎖しようとして、関門海峡に続いて宮津・舞鶴・敦賀・七尾・伏木・直江津・新潟に、B29が次々と機雷を投下してきている。

頼みの綱は「八八・はちはち」だった。正式には「戦時標準船のE型」という。総トン数880トンの小型船だ。20人ほどの船員が乗り、大豆なら1150トン積める。この「八八」に加え軍の上陸用舟艇も動員した。これらのドラフトの浅い船なら小さな漁港にも入港できる。春から夏の時期で天候にも恵まれた。各船は危険覚悟で1割以上の積み増しをして続々と漁港に入港してきた。


荷揚げ作業の主力は漁師のおかみさんたちだった。1000余トンの大豆の内、いくばくかを現物支給したらしい。食糧不足のこの時、現金以上に嬉しい報酬である。

このようにして、半年足らずの間に、朝鮮半島経由で日本海側の漁港に緊急輸送された塩は26万トン、大豆などは74万トンと記録にある。これらは、8月15日以降に起こった食糧難とそれにともなう混乱に対して大いに役立った。


日本人は、本当の国難に遭遇した時には、官民が心と力を合わせて、これを克服する英知と伝統を持っているように思える。

「東奔西走」 大来佐武郎自伝
「昭和二十年」 鳥居民著






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