ここには、ほかの神社にはない不思議な建造物がある。直径50-60センチ、高さ4メートルほどの北米にあるトーテムポールに似た石柱で、二つある。
左側の石柱の上部には奇怪な男性の顔が彫ってあり、下半分には「天下大将軍」と文字が彫ってある。右の女性像の下には「地下女将軍」とある。なんだか神社には似合わない。
新しいもので、建造されてさほど年月は経ってない感じだ。
調べてみると「将軍標・しょうぐんひょう」というもので朝鮮の風習らしい。てっきり、半島の北部出身の在日の成功者が寄贈されたのだろうと思っていたら、そうではなく、「平成四年に大韓民国民団埼玉地方本部が奉納した」のだという。私は頭を抱え込んでしまった。
新羅の流れをくむ大韓民国の団体が、「あの時は申し訳ございませんでした」と詫びを入れ、度量の広い高句麗の流れをくむ宮司さんが、昔の恨みを水に流し受け入れたのであろうか。
このあたりのいきさつが知りたいと思い、再度この神社を訪問した。宮司さんはご不在で、権禰宜(ごんねぎ)という若い神官が親切に対応してくださった。ただ、右のいきさつについてはご存じなかった。のみならず、1300年以上前の高句麗と新羅との戦いなど、まったく意に介してない様子である。
「日本人の参拝者がいちばん多いですが、在日の北出身の方も、南出身の方も、みなさんお参りしてくださいます。近頃は韓国からの旅行者の参拝もずいぶん多いです。ありがたいことです」
かならずしも私の疑問を解消してくれる答えではなかったのだが、この若い神官のあっけらかんとした態度は、私の胸に響いた。考えてみれば、この若い神官の回答・ふるまいこそが、神社のあるべき本当の姿なのかも知れない。
「日本の神社はお参りしてくるすべての人を受け入れる」という。
その人の地位・貧富・人種・性別など一切とんしゃくしない。たとえ犯罪者であろうとも、神社は快く受け入れてくれる。そうであるからでこそ、日本の神社は尊いのである。私のように1300年前の高句麗と新羅の戦いの話を持ち出して、ぐちぐちと考えるのは恥ずかしいことのように思えてきた。
そう思うのであるが、奇怪な将軍標より、神社には狛犬(高麗犬)が似合う。
エジプトやオリエント地方の獅子像がシルクロードを通って中国に入り、そして高句麗を経由してわが国に入ってきたのが「狛犬」だと聞く。
なんといってもここは、高句麗王・若光を祀る由緒ある古社である。ほかの神社が度肝をぬくような巨大で迫力ある狛犬像を設置して、睨みを利かせて欲しいと思った。
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