そうした5月のある日のこと。
朝食にわずかに手をつけて湯をすすっている召平に、使用人の少年が声をかける。
「侯! これから菜園に芋を植えます。一緒にやりませんか。面白いですよ」
自分の健康を心配してくれているのであろう。召平の顔に久しぶりの笑みが浮かぶ。
外は快晴だ。
2日前に適度の雨が降り、農作業にはうってつけの日和だ。少年は椅子を持ってきて、こぼれ陽のさす大樹のもとに置く。一緒にやりませんかと言ったくせに、「侯は座って見ていてください」と言う。
東陵侯の館ではほかの諸侯と違い、使用人は召平にのびのびとものを言う。そうではあるが、草をむしってください、鍬で掘ってくださいとは言いずらいのであろう。素人にうろうろされては農作業のじゃまになる、と思ったのかも知れない。召平は言われるがままに椅子に座り、時おり散歩しながら数人の農作業をながめている。
半刻ほど経ったころ、
「もう少し畝を高くしたほうがいいんじゃないか」とつぶやいた。
「侯は農作業の経験があるのですか?」一人の少年が顔を輝かせる。
「若いころは百姓だったよ。お前さんたちより、ちと上手いかも知れんぞ」
「侯は何をつくるのが得意だったのですか?」
「わしの故郷は北西部の盆地だ。ここよりも寒い。麦以外では夏は茄子や瓜、秋は大根・蕪・葱(ねぎ)がよくできた。芋もつくったが、里芋は水と暑さが好きじゃから、あまり良い芋は出来なかったよ」
本当は、いやいや父や祖父の手伝いをした程度なのだが、からかい半分で話を膨らませる。
これだけの会話で、「おい。うちの候は農事の名人らしいぞ」と使用人たちは噂をする。
午後からは鍬を持たされ、みんなの仲間に加えてもらう。今回の植え付けはもっぱら里芋だ。
この日から、天気の良い日には召平は毎日畑に出るようになる。体調も徐々に快復してきた。
そんなある日のこと。
使用人の葉浩という、最年少の少年が息を切らせて飛び込んでくる。
「侯! 侯! 大変です。 友人が殺されそうです!」
聞いてみるとこういうことだ。
葉浩の幼なじみの季布(きふ)という少年が、役人につかまり明日処刑されるという。まじめな葉浩にくらべ、季布は任侠の徒にあこがれるちょっと不良がかった少年ではある。ただ根は悪くない。心の優しい親孝行な少年だと、葉浩は言う。
20人ほどが二組に分かれて、戦争ごっこをしていた。たまたま1人の少年が足を踏み外して崖から落ちて死んだ。子の親が役人にうったえた。このような場合でも、リーダーの季布は秦の法律に照らせば死刑になる。
命乞いのため、召平は葉浩を連れて役所に急ぐ。郡守の下の県令の、そのまた2ランク下に位置する亭長(警察分所長)は、法律をたてに一歩も引かない。このような時はワイロしかない。実はこれを想定して、召平はいくばくかの黄金を懐にしのばせている。
ワイロを受け取った亭長は、「処刑は取り止め、東陵侯のもとに1年間お預けの身とする」と重々しく言い放った。こうして召平は、少年を館に連れて帰ることができた。
季布は召平に慕ってくる。「東陵侯どの! 東陵侯どの!」とじゃれるようにすり寄ってくる。命の恩人という気持ちもあるのだろうが、それだけではない。なによりも二人は気質が合うのだ。
召平は三十、季布は十六である。人間というものは気が合えば、年齢も身分も関係ないものらしい。季布は遠慮なく言いたい放題を言うのだが、召平にとってそれが心地よい。それに、この少年は驚くほど頭が良い。
やるべき仕事のない召平は、週三回、希望者をつのり数人の少年に学問を教えていた。これに加わった季布は、めきめきと頭角をあらわしてくる。人に好かれる気質らしい。統率力もある。またたく間に少年たちのリーダー格になる。
「後生畏るべしという言葉がある。将来かならず名を残す人物になろう」、召平はそう睨んだ。
1年後、季布は丁寧な礼を述べて東陵侯の館をあとにする。
「旅に出て見聞を広めます。そして千載正史に名を残す人物になりたいと思います」
真顔でそう言う季布に、召平は法外な額の餞別を与える。少年の日の自分を見るような気がしたからである。
「季布よ!」、 召平は季布の門出に際して、はなむけの言葉をかける。
「人間は八方ふさがりになり、どう動いてよいかわからぬ時がある。その時は、無茶でも何でもよい。積極果敢に打って出るのじゃ。危険を避けようと思ってはならんぞ。人が逃げれば危険のほうから押し寄せてくる。死んだ気になり、危険の真っただ中に飛び込んでいくのじゃ。運が悪ければ死ぬ。運が良ければそこから展望が開ける」
「ありがたきお言葉。肝に命じます」
そう言って深々と頭をさげた季布は、東陵侯の館をあとにした。
これ以降、召平は晴耕雨読の毎日を送ることになる。
「俺はまるで、爺さまの言われた通りの生活を送っているではないか」
召平は一人で苦笑いする。
使用人の中に瓜作り名人の中年男がいる。なぜだかわからないが、この男の作る「まくわ瓜」は肉厚で甘みが他と格段に違う。もったいぶるその男を持ち上げて、その作り方の秘訣を教わった召平は、以来10年間この広陵の館で瓜作りに没頭する。
雨の日はもっぱら書を読む。少年の頃、すでに儒(じゅ)・道(どう)・法(ほう)の基礎知識はあった。秦の将校になってからは仕事柄法家(ほうか)の書を読むことが増えたが、商鞅(しょうおう)・韓非子(かんぴし)は好きになれなかった。広陵の館では、祖父の好んだ老子と荘子を読む。この二人の書を読んでいる時だけはしあわせな気持ちになれる。
このような生活をしながら、広陵での生活は11年が経った。民のくらしぶりは年を追うごとに困窮の度を増している。
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