2020年6月16日火曜日

小説・東陵の瓜

長安郊外の家にある、樹齢800年と伝わる三本の欅の幹が金属色に光っている。

15歳の少年が、気負った旅姿でみやこ咸陽(かんよう)に向けて出発しようとしている。
「男児志を立てて郷関を出ず」の心意気を胸に秘めて。

秦王・政(せい)の14年(前233)、白梅が三分咲きの早春の朝である。

少年の名は召平(しょうへい)という。

はるか後世、唐の都として栄える長安であるが、このときは一面の田園風景だ。少年の家は豪農とはいえないまでも作男10人をかかえ、生活には何の不自由もない古い農家である。好んで秦の一兵卒に志願して、軍に身を投じる理由はどこにもない。

殷が滅亡する少し前、暴君・紂王(ちゅうおう)に愛想をつかした将軍が、この地に帰農したという伝承がこの家にある。事実かどうかは定かでない。ただ、当時のものと思われる古びた「矛(ほこ)」二つが代々家に伝わっている。三本の欅の巨木もその証かもしれない。


「大将軍になりたい」

なんの裏付けもない奇妙な自信と野望とが、この少年の胸にたぎっている。800年前の先祖の血が騒ぐのか。いや、それだけではあるまい。時代の流れが少年の心に火をつけた、というのが正確かもしれない。

現在の秦王・政(せい)の百年前の祖である、秦の孝公(こうこう)が法家(ほうか)の宰相・商鞅(しょうおう)の進言を採り、「軍功爵」(ぐんこうしゃく)という制度を定めた。手柄さへあげれば、身分に関係なくだれもが「将軍」・「侯」に昇る可能性が開けたのである。この制度こそ、政・すなわち始皇帝の代になって秦が中国統一する国力の源泉となる。げんに、召平のとなりの村から大将軍・侯へと立身出世した男が一人出ている。

母と祖父ははじめは反対だった。賛成してくれたのは父だけである。この時父親は38歳、まだ功名の血が騒ぐ年齢だ。自分が少年のとき同じ志を抱きながら、それを断念したことが、よけいに息子に夢を託したかったのかも知れない。
「うちのあんちゃんなら、きっと大将軍になるぜ」、二人の弟は無邪気に兄の成功を信じている。

出発の前夜、家族との夕食の席で父は、身体に気を付けて頑張れ、そして数万の兵を指揮する大将軍になるんだぞ、と息子を励ました。

祖父は違う。笑いながら言った。

「平、本当に行くのかえ。立身出世して大将軍になるのも良いかもしれん。しかし、それは十万人に一人だぞ。残りの多くは戦死する。それよりも、作男たちを使って畑仕事をしたらどうだ。雨が降れば書を読み、夜にはみんなで酒を飲むんじゃ。平、こっちのほうがよほど愉快だぞ」

引き留めようと思って言ったのではあるまい。己の今までの人生で得た処世訓・哲学のようなものを、可愛い孫に淡々と語っただけのことである。



















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