2020年7月1日水曜日

東陵の瓜(7)

建康では最高級の旅館を宿とする。

軍資金はたっぷりある。部下を充分に慰労することができた。呉服商を呼び全員の衣服を新調する。項梁・項羽の陣営に行くにはそれなりの格好をしておかなくては、との計算もある。

もう一つ大事なことがある。

建康の町で一番の鋳物師(いものし)を宿に呼び、法外な金(かね)を渡して言った。
「純度の高い金(きん)を使い、急いでこの文字の印綬を造ってくれ」
ー張楚上柱國印ーと書かれてある。このような準備に十日間を要し、召平一行は会稽に向かう。

会稽は古くからの地名である。西周(せいしゅう)が殷を滅ぼしたすぐあとに、この辺りに大きな都市ができる。のちの地理でいえば、蘇州・杭州・紹興一帯である。項梁は後世の浙江省(せっこうしょう)のほぼ全域を抑えていると考えてよい。

六千の軍団をかかえていると聞く。以前の郡庁と郡守の館を接収した仮の本営だが、立派なものだ。正門を、10人ほどのいかめしい衛兵が警護している。

「何者だ! 名を名乗れ!」 衛兵の長(おさ)らしき下士官が大声で叫ぶ。

「ひかえろ! 頭が高い。お前たちではわからん。責任者を呼べ!」

召平の側近の王猛という猛者が、声を励まして一喝する。30人のきらびやかな服装に、衛兵たちはただならぬものを感じたらしい。1人が走って本営に入る。
しばらくたって、偉丈夫の将軍が3人の将校を連れて出てくる。年齢は案外若い。

「とっ、とっ、とっ・・・・・・・」その将軍はびっくりした顔でそこまで言って押し黙った。「東陵候どの」の言葉はかろうじて飲み込んだ。一瞬の判断が、この若い将軍の頭を走ったのであろう。

おどろいたのは召平も同じである。なんとその男は、10年ほど前に命乞いをしてやり、1年間広陵の館に預かったあの季布である。王猛をはじめ、30人の供の中には季布を知る者は何人もいる。供の一人の葉浩は季布の幼なじみだ。召平はうしろをふりむいて目で合図する。「まったく素知らぬふりで通せ」、みなは召平がそう命じたと理解する。

ここで東陵候などと呼ばれたのではたまったものではない。すべてが水の泡に帰す。項梁の父・項羽の叔父である楚の大将軍・項燕(こうえん)は、秦の将軍・王翦(おうせん)に首をとられた。当時、召平は蒙恬に従って北方警備の任にあり、楚の項燕討伐の軍には加わってない。しかし二人にとってはそれは関係ない。秦の大将軍ならすべて親の仇である。

「謹め! 吾は張楚国の陳王の勅使である!」召平は高飛車に一喝する。

季布は身を縮めるようにして頭を下げた。聡明な季布は、この一言で、召平が何を考えているのかをほぼ理解したようである。

(東陵候どののお芝居につきあわねばなるまい)

季布は瞬時に腹をくくる。召平の供の中にはなつかしい顔が何人も見えるが、季布は彼らをまったく無視する。「すぐに項梁どのにお取りつぎ申し上げます」と、勅使に対しての丁重な礼をつくし、門の中に入っていった。







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