2020年7月9日木曜日

東陵の瓜(10)

みんな行ってしまった。召平と二人の部下だけが残った。

30人の身の振りようは、昨日の朝決めている。みなを集め、会計係の男に命じた。
「残りの軍資金を40等分せよ」と。10人の戦死者の遺族にも渡そうと考えたのである。一家の生活費の2年分ほどの金・銀を配り終えて、召平は言う。

「今まで本当に良くやってくれた。厚く礼を言うぞ。軍は明朝出発する。これからはみなの思い思いの行動をとるがよい。広陵に帰るのもよし。項梁・項羽の軍に従うもよし。わしについてくるのもよし」

そして、付け加えた。

「広陵の県令は、孫義(そんぎ)によって先月首を刎ねられた。孫義のことはお前たちもよく知っておるだろう。いま広陵の地は無政府状態だが、実質孫義が支配している。だからお前たちの身にはなんの心配もない。むしろ義士として迎えられるであろう」

先日建康を発つとき、一人を郷里の広陵に派遣していた。広陵の現状がどのようになっているかの偵察のためだ。その男が昨日持ち帰った、最新の情報である。

孫義は30過ぎの広陵の無頼漢だ。県の役人と衝突した時、二度ほど助けたことがある。季布とは違うタイプだが、この男も召平を慕っていた。というより、召平が決起したとき、孫義は自分が副将格として召平と一緒に行動するつもりでいた。

「それはならぬ。今は重病の母親のもとにいて看病をしてやれ。時機がきたらわしに合流せよ」
食い下がる孫義を、召平はこのように諭し、決起の仲間からはずした。ふた月まえにその母親は亡くなった、と伝令は言う。

「侯はどうなさるのですか。一緒に広陵に帰らないのですか?」

「わしには考えがある。十年もすれば世の中は落ち着くであろう。当分のあいだ旅に出ようと思うのだ。わしのことは一切心配はいらん。まだ四十ゆえ、一人でも大丈夫じゃ。おのおの自分の思う通りに決めよ」

21人が広陵に帰り、7人が軍に従うことに決めた。朱裕と葉浩の二人が召平に同行を申し出て、召平はこれを許す。裕は召平が東陵侯になる以前から従っていた下僕で31歳になる。浩は芋を一緒に植えたとき最年少だった季布の友人である。27歳になる。三人は会稽の宿に二晩泊まる。

二日目の夕食のとき、「侯の今までのご努力はなんだったのでしょうか。その苦労ははたして報われたのでしょうか、、、」と裕が独り言のようにつぶやく。しばらくの沈黙のあと、召平は答える。

「人生の禍福はにわかに論じがたし。と昔の賢人は言われた。報われるとか報われないとかは眼中に置くべきではない。正しいと思うことを突き進めば、人間はそれで充分生きたことになるのだ」

三日目の朝、「西に行こう!」
召平は二人に静かに言った。








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